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『樺太1945年夏 氷雪の門』(からふとせんきゅうひゃくよんじゅうごねんなつ ひょうせつのもん)は、1974年公開の日本映画。株式会社JMPが製作。 1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送後も継続された、ソ連軍の樺太(現サハリン)侵攻がもたらした、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)を描いている。 == あらすじ == 終戦間際の1945年(昭和20年)夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた(樺太の戦い)。緊急疎開が開始され、婦女子、老人、病人を中心とする避難民は群をなして真岡町(および大泊町・本斗町)の港に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられている。疎開船も順次出港したが、疎開民が乗った非武装船三隻が留萌沖で国籍不明の潜水艦によって攻撃され、疎開民のほとんどが犠牲になるという事件も起こった〔史実ではこの三隻が攻撃を受けたのは22日で、真岡郵便電信局事件の2日後である。〕。 8月20日、ソ連軍は真岡町への上陸を開始した。志願して職場に留まり、そのために追い詰められた関根律子ら女性交換手達は、各地で市民が次々と殺害される状況を通信で知り、自らも青酸カリによる自決を選んだ。死に際して、両足を紐で固く結んでいる者もいた〔この描写は脚本決定稿にはない。見苦しくないようにとのたしなみであろうが、原作には、9人のうち1人が「辱めを受けないようにモンペを二枚重ねて穿き、迅速な行動が取れるよう靴を紐で縛っていた」という肉親の証言があるので、撮影段階でそれを潤色して描いたとも考えられる。〕。 9人の乙女の像にも刻まれた「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樺太1945年夏 氷雪の門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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